今回はいつものテーマとはまったく別ですが、丸山ワクチンについて書きます。
私は2009年にガンの告知を受けたあと、丸山ワクチンだけでガンを治しました。
丸山ワクチン以外の医療行為を一切おこなわずガンを治した、というコトが現在では珍しいケースのようですので、これについて少し書いてみたいと思います。
最近、丸山ワクチンもその一つである免疫療法や、代替療法にたいする逆風が強まっているように感じます。
私もよく引きあいに出す、アンドルー・ワイル博士(アメリカにおける代替療法の第一人者であり、2005年に『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれた人)は、90年代のアメリカで代替療法にたいする逆風があったことについて話されています。
そして今、そのような風潮が遅れてではありますが、日本でおこっているのかもしれません。
確かに、代替療法や免疫療法のなかには、相当に怪しいものが含まれていることは事実です。
けれども、アンドルー・ワイル博士のメソッドや、丸山ワクチンなど、本当に価値のある免疫療法や代替療法までもが、一緒に貶められてしまう状況には違和感を感じざるを得ません。
私はもともと、10代のころからかなりの健康オタクでした。
特にワイル博士については、彼が代替療法の第一人者として知られる以前の、1983年頃から「チョコレートからヘロインまで」という著作で彼の存在を知り、その考え方に大いに共感していました。
そのために、ずっと彼の健康法に興味を持ち、著作の多くを読んでいました。
そのワイル博士の著書の中に、「自分がどのような治療法によってガンを治したいのかを、実際にガンにかかる前にハッキリと決めておかないと、イザ本当にガンにかかってしまった後では精神的な動揺が強すぎて、ついつい医師の言葉や周りの状況に流されてしまい、自分の思いをつらぬくことができない」という趣旨の言葉がありました。
もちろん彼のこの言葉を読んだ当時の私は、後に自分が本当にガンにかかるとは思ってはいなかったのですが、やはりこの言葉が心のどこかに引っかかっていたのでしょう。
またワイル博士の件とは別ですが、私がまだ10代の頃、丸山ワクチンが大きな話題になったことがあました。
それもまた、心のどこかに「自分がガンにかかったら丸山ワクチンを使いたいなあ」と、ボンヤリとした考えを作り出した一つのキッカケだったとも思います。
でもまだその頃は、自分がガンにかかったら「丸山ワクチンだけでガンを治すぞ!」なんて気持ちは少しも持ってはいませんでした。
そして私が実際に、ガンの告知を受けたのは2009年の確か4月か5月くらいだったと思います。
実は、その何年も前から異常にオリモノの量が多く、自分でも不審に思っていたのです。
そのため、当時住んでいた東京都杉並区の自宅近くの産婦人科に、何度も診察してもらってもいたのですが、そのたびに「まったく問題ない」という診断をされていました。
その医師(かなり年配の男性医師でした)は「まったく問題ない」とは言うのですが、やはりオリモノの量は異常ですので、数か月に一度は心配になり、そのたびに診察を受け、血液検査等もやってもらいました。
なんど診察を受けても問題ナイとは言われるのですが、やっぱり明らかにオカシイので「絶対になにかあると思います」と強く食い下がったことがありました。
するとその医師は、「もしかするとギョウチュウがいるのかもしれない」などと言い出し、「保健所にギョウチュウの検査に行ったらどうだ?」なんて言われたりもしていました。
なぜ、その時にセカンドオピニオンを取るために別の医者にかからなかったのか?今でも当時の自分が不甲斐なくて仕方ありません。
結局、私がセカンドオピニオンをとったのも自分自身の手柄ではありません。
当時付き合っていた恋人(今の夫)と一緒に住むことが決まり、彼のマンションに引っ越したため、杉並の医者は遠くなったのです。
仕方なく彼のマンションの近くにある産婦人科に行きました。
その医師もかなり年配の方でしたが女性でした。
その医師は、「私のところは小さく古く設備もないのでハッキリしたことは言えないけど、あなたの状態は少し問題があると思う。ちゃんと検査設備のある病院で診てもらった方が良い」と言いました。
そう言われてもなお、人並はずれて楽観的な私は、あまり深刻には受け止めず、そのおばあちゃん先生の病院よりは少しだけ離れてはいましたが、それでも家の近くという距離の便だけで、近場の産婦人科を選んで出かけました。
そこで子宮頸ガンの告知を受け、「ステージがすこし高い可能性があるので大きな病院に行った方が良い」と言われ、はじめて深刻に受け止めた私は、やっと重い腰を上げ、慶應義塾大学病院までいくことになったのです。
最初の診察のあと、「ガンのステージを確定するために1日入院して検査手術をするが、現在は病床に空きがないため少し待つように」と言われました。
もうずいぶん前の事なので詳細は覚えていないのですが、確か1カ月か2カ月くらい待たされたでしょうか?
それまでは異常なほど楽観的だった私ですが、深刻な可能性があると分かってからは、もう全然、楽観的になんてなれません。
「もしもステージが高いとしたらその1.2ヶ月の間にガンが進行したらどうしてくれる?」そんな思いがあり、その間なんとか少しでもガンの進行をくい止めたくて、それが丸山ワクチンを受けることになったキッカケです。
つまりこの時もまだ、丸山ワクチン一本でガンを治そうなんて気持ちは全然なかったのです。
実際にガンのステージを決定するための検査手術を受けたのは、2009年の7月6日です。
他の日付は曖昧なのに、なぜこの日付だけを正確に記憶しているのかというと、丸山ワクチンを買うための、「SSM臨床成績経過書」という書類に手術を受けた日付を書く必要があったからです。
そして、私がガンになったために受けた手術はこの検査手術だけであるため、約10年の間ずーっと、この日付だけは書き続けてきたためです。
検査手術の結果、私のステージは「1B1」と確定されました。
ガンは、その種類によってはステージの分類の仕方が多少異なる場合もあるようですが、基本的には0期から4期までの5つのステージに分類されます。
0期は、本当の初期で深刻度は、ほぼナイくらいの軽いステージで、4期はいわゆる末期です。
また、これはもしかすると子宮頸ガンの場合だけなのかもしれませんが、この5つのステージがさらに内部で細かく分かれます。
私の子宮頸ガンのステージは0期より一段だけ深刻な1期というステージでした。
でもこの1期の中で更にステージが細分化されていてA期とB期に分かれます。
そして更にそのA期とB期の中でも、もう一段階ステージが細分化されていて1期と2期に分かれます。
つまり1期というステージにおいて一番深刻度の低いのが1期の中のA期の中の1期、つまり1A1。一番深刻度が高いのが、1期の中のB期の中の2期、つまり1B2。
私のステージ1B1は1期の中では一番最悪なステージの一歩だけ手前のステージでした。
そしてこの1B1というステージの場合、日本の標準治療では「広汎子宮全摘出術」か「放射線治療」が選択されるようですが、私の担当医は「広汎子宮全摘出術」以外の選択肢は出しませんでした。
この「広汎子宮全摘出術」という手術は、子宮、卵管、卵巣は、もちろんのこと、腟の一部から子宮周囲の筋肉などまでの、かなり広い範囲を切り取り、リンパ節なども切り取るため、かなりの高い確率で(およそ3割ほど)後遺症が出る可能性があります。
でも実は、この1B1期の患者の中で、本当にそこまで広い範囲の切除を必要とする人はホンの1割だけです。
残りの9割は何の問題もない健康な組織をごっそりと切り取られ、その後の後遺症に苦しむのです。
後遺症といっても生半可なものではありません。
なかでも恐ろしかったのがリンパ浮腫という後遺症で、ひどい人だと足が象のように巨大に膨らみ、最悪の場合は歩けなくなる可能性すらあります。
もちろん、担当医は3割もの高い確率で後遺症がでる可能性や、9割もの患者が何の問題もない健康な組織をゴッソリと切り取られるコトになる、などという話はしてくれませんでした。
それらはすべて必死になった私がネットなどを通じて調べ上げたことです。
私は子宮だけを切り取る「子宮単純摘出」という手術を望みました。
これなら後遺症が出る可能性は、ほぼないからです。
またリンパ節を切り取ることにも抵抗がありました。
リンパは免疫のカナメであり、丸山ワクチンは免疫力をあげてガンを治そうとするワクチンなのです。
あなたなら、どう思いますか?
もしも、子宮周辺の広い範囲やリンパ節までもを切り取った場合、深刻な後遺症が出て最悪は歩けなくなる場合すらある、しかも後遺症のでる可能性は3割とかなり高い。
広い範囲は切り取らないで子宮だけを切り取った場合、細かいガンが散らばっている可能性はたったの1割、もちろん運悪く自分がその1割に入ってしまっていたら死ぬ可能性もある。
でも私の場合、丸山ワクチンを受け始めていたので、もし細かいガンがあったとしても、検査でも出ないような細かいガンなら丸山ワクチンが何とかしてくれるかもしれない、という思いもありました。
それよりなにより、9割もの高い確率で健康な組織である可能性がある以上、自分が残りの1割の方に入るとは、どうしても思えないのです。
でも私の担当医は、そんな私の意見などまったく受け入れてくれません。
むしろ彼はかなりヒドく私を非難し、こんな風なことまで言いました。
「時々ね、あなたのような人がいるんですよ。昔もいましたそんな人が。確かダンサーとか、そんなことを言ってましたね。」
「その頃はまだ今のようにA期やB期の中がさらに1期2期と細かくは分かれていない時代でしたから、1B期としか言えませんので、あなたとまったく同じかどうかはわかりませんが、でも1B期は1B期、同じですよ。」
「その人どうなったと思いますか?手術を拒否して1年後大出血して、またここに運ばれてきたんですよ。もう打つ手はなくそのまま死にました。あなたもそんな風になりたいんですか?」
これコンプライアンス違反な発言ですよね。
訴えてやればよかったのですが、当時の私は自分の命の問題が先決ですから、それどころではありません。
「イエイエ先生、私は切りたくないと言ってるんじゃナイんですよ。ぜひ切ってほしいんです。子宮だけを。広汎切除がイヤだと言ってるんです」といくら説得しても、まったく受け付けてくれません。
「広汎切除がイヤならウチでは一切手術はできない」の一点張りです。
さあ、それからが大変です。
1B1期の子宮頸がんの患者の子宮だけを切り取る手術をしてくれる医師はいないか?あちこちの病院を調べまくりましたが中々みつかりません。
そうやって病院を探す中で、ガンを専門とする都立駒込病院という病院に行きました。
そしていつものように「このような事情で子宮だけを切り取る手術をしてほしい」とお願いしました。
その時の担当の医師は、若い女性で、こんなことを言ってくれました。
「あなたのお気持ちは分かります。でもゴメンナサイ。ウチではチームで仕事をしますので、私の一存ではその手術をするとは言えません。」
「そして、たとえチームに相談しても私は下っ端ですし、結論から言うとその手術をすることはできないと思います。」
「ただ、今のあなたのガンの状態が心配です。検査手術をしてから、けっこう時間がたっているようですから、あなたのガンが今どうなっているのか、一度ウチで調べてみませんか?」
そう、おっしゃって下さいました。
こうして再度ガンの検査をしたところ、私のガンは消失していました。
慶応病院の話では検査手術の際、ガンのすべては取りきれなかったと言っていたはずなのに。
でも実はこれで完全に心配がなくなったワケではないのです。
それでもやはり心配はなくならず、その後も子宮の単純摘出をしてくれる医師を探し続け、やっと栃木にその手術をしてくれるという医師をみつけました。
けれども結論から言うと、実際には子宮だけを切り取る手術すらも、しませんでした。
少し時間がたち、気持ちも落ち着いてくると、なぜ手術をするのか疑問に思えてきたのです。
だってもうガンはなくなっているのに、どうしてワザワザたとえ子宮だけにせよ手術なんてしなければならないんでしょう?
ただ、それでも問題だったのがガンの再発です。
もしも慶応病院で取り残したと言っていた部分にガンが再発した際、やはり子宮だけを切り取ってくれる手術をしてくれる医師が必要でしたので、私はワザワザ3ヶ月に1度、東京から丸一日かけて栃木の病院までガンの検査を受けに通っていました。
その後、東京でも万一再発した際には子宮だけを切り取ってくれるという医師をみつけ、その後は東京の病院で3ヶ月ごとの検査をするようになりました。
こうして今、約10年が過ぎ、最初は3ヶ月毎だった検査を今は一年に一度だけ受けています。丸山ワクチンも最初の5年間は2日に一回注射していましたが、今は1週間に1回だけになっています。
なぜ都立駒込病院で検査をしたときに、ガンが消失していたのか?
厳密に言えば、その原因を丸山ワクチンのおかげだけ、と言うコトは、もしかすると出来ないのかもしれません。
慶応病院で検査手術をしたときに、レーザーメスで切り取ったため、取り残したはずのガンもその時の熱で死んでしまった可能性もあるのかもしれません。
あるいは取り残したという発言じたいが手術をイヤがる私を脅かすための口実で、実は検査手術で目に見える部分のガンは全部とれていたのかもしれません。
そして、1B1期の90%の患者と同様に私のガンもその部分だけにしかなく、周りには散っていなかったため今のような状態になれたのかもしれません。
ただ事実として言えることは、私は2009年に慶応義塾大学病院にて、検査入院をし子宮頸ガンの1B1期の診断を受けたにも関わらず、その後一切の手術も放射能療法も受けることなく、ただ丸山ワクチンだけを受け、その後ガンはなくなり、10年たった今も再発はしていない、というコトです。
そして、2018年1月9日の日本テレビの「ザ!世界仰天ニュース」によれば、2014年からアジアの7つの国と地域が協力して丸山ワクチンの大規模な臨床試験がスタートし、2023年をメドとした臨床結果によっては、丸山ワクチンはいよいよ制がん剤として国に認可される可能性もあるとのことです。
これについて詳しく知りたい方はこちらをどうぞ→「国が認めない丸山ワクチンの謎」
もしも本当に丸山ワクチンが制ガン剤として国に認可されたら、どれほど素晴らしいことになるでしょう。
そうなれば、今後は、少なくても私と同じような頸ガン1B1期の患者は、リスクの高い放射線治療や、抗がん剤などは使わずに、済むようになるかもしれません。
そして免疫力を下げてしまうようなリンパ節の切除や、ひどい後遺症の出る可能性の高い広汎切除などの手術をする必要もなくなるかもしれません。
そして、その時に確認できる部分のガンだけを外科手術によって切り取り、検査でも出てこないような小さなガンについては、一切の副作用のない丸山ワクチンだけを使って治す、私のようなケースが劇的に増えるかも知れません。
実は、私がこの記事に書いた実際の体験を、今まで何人かの知り合いに話したことがあります。
この話を私から聞いたことのある人は、みんな私の行動を「勇気がある」とほめてくれました。
でも、褒めてくれながらも、この話を聞いたことのある人の中の半分以上の人は、「でも、もしも自分がそうなったら、医者にそこまで逆らってまで、そんな風にやる勇気はナイと思う」とも言っていました。
確かに、医者に逆らってまで自分なりのやり方を通そうとすれば相当のストレスにさらされることは事実です。
たとえ自分の命がかかっていても、それほど大きなストレスを抱えてまでも医者に逆らうことは出来ない、という方もいらっしゃることでしょう。
けれども、丸山ワクチンが抗がん剤として国に認められるようになれば、医者に逆らったりする必要もなく安全な治療が受けられるようになることが期待できます。
ぜひそのような日が実際にやってくることを願ってやみません。