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禁煙セラピストのブログ

20年以上瞑想を続けている私が、瞑想について超具体的に書きました。

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「瞑想」というと、ホンの少し前まではウサン臭いとか、宗教っぽいとか、言われがちでしたが、最近は、瞑想にたいする理解がとても広がってきたのを実感します。

以前は、静かな公園の人のあまりいない芝生の上で瞑想していても、かなり強烈な白い目でみられがちでした。

でも最近はスポーツジムのサウナで瞑想していても「あ・それね」みたいな感じで見逃してもらえ(笑)ガゼン、世の中が住みやすくなったなあ。

これもGoogleが社内で瞑想を取り入れてくれたおかげでしょう。Googleえらい!

さんざんアチコチで語られているコトですが、瞑想は正しいやり方で、毎日コツコツと続けていけば、本当に本当に驚くほどのスバラシイ効果があります。

なんといっても一番は、集中力のアップです。

勉強するとき、仕事するとき、他にも日常生活の様々な場面で、明らかにグンと集中力がアップし、今までであればツイツイ気が散ってしまうようなソワソワとした気分がガクンと減ります。

ですから、努力できない病の人に良くありがちな「何かをしなければならない時に限ってナゼか肝心なコトに手がつかず、逆に普段はやらないような他のコトをツイツイやりはじめてしまったりする」ようなコトも、明らかに減ります。

こうして、集中力がアップすれば、「やるべきこと・やらなければならないことにナカナカ手がつかない」という状態も、少しずつ減っていき、やるべきこと・やらなければならないコトから、チャンと優先順位に従って出来るようになっていきます。

また「気分が明るくなる」というのも、特筆すべき効果の一つです。

「自然な呼吸に集中する瞑想」が上手くできるようになってくると、特別に良いことがなくても気持ちが晴れやかになり、爽快な明るい気分になっていきます。

気分が明るくなれば、対人関係もスムーズになりますし、困った問題にたいする見方も楽観的に変わります。

また多少のストレスは気にならなくなり、日常生活におけるストレスレベルが、一段ハッキリと下がるのが実感できます。

こうして日常生活におけるストレスレベルが下がれば、当然ながら精神的に落ち着くようにもなります。

以前であればイライラしたり落ち込んだりしたような場面でも、不思議とイラついたり落ち込んだりすることが少なくなり、自分が精神的に安定していくのを実感として感じられるようになるでしょう。

さらに、疲れにくくなり、寝つき目覚めも良くなりますので、一日を充実して使うことができ、今まで時間が足りなくて出来なかったことも出来るようになっていきます。

そのうえ、頭の中がスッキリと整理され、記憶力も明らかに上がりますので、やり忘れ、買い忘れ、探し物、などの時間が減り、時間のムダがなくなります。

こうして一日の行動が、より効率的にスケジュール通りにやれるようになっていく感覚が実感できるようになれば、今まではどうしてもできなかったはずの「やるべきだ、イヤもうやるしかナイってコトは十分アタマではわかっている! それなのに・どうしても・やれなかったコト」などについても「どうやらできそうだぞ」という実感も、わいてきます。

そのときこそが、今まではできなかったはずの「自分がやりたいと思っていた具体的な行動」について、ハッキリと「やるぞ!」というホンモノの決断を下すタイミングです。(これについて詳しくはこちらをご覧ください。→「決断をくだすタイミングについて

こうしてホンモノの決断をくだすことができれば、人の行動は劇的に大きく変わります。

このようにして瞑想は「努力できない病」を治すためにも、大いに役立ってくれるのです。

また、瞑想が上達し、あるていど以上集中力があがってきたら、ちょっと特殊なテクニックを使うのですが、感覚に集中する瞑想と、呼吸に集中する瞑想をリンクさせて強烈な快感を経験することも出来ます。

これはモノスゴく強烈な快感で、まさに至福の快感とでも言いたいほどです。

もしも天国というものが本当にあり、昇天するということが実際にあるのなら、このような感覚を感じるのだろう、と思えるほどの、まさに「天にも昇るような快感」です。

このような、毎日毎日のコツコツとした努力によってのみ得られる快楽は、なんの努力もなしに得られる安易な快楽(飲酒、ドラッグ、喫煙、サドマゾヒスティックなセックス)とは比べ物にならないほど強烈です。

それでいてこの快楽には、後ろ暗いような罪悪感がまったくなく、明るく輝くように健康的で、その快感を「正しい」と思える本当に素晴らしい快楽です。

しかもこの快楽には、心身の健康度の格段のアップというステキなオマケまでついてきます。

あとですねー。

これは現在自分の体で人体実験中なので、まだハッキリとした結論は申し上げられないのですが、この「感覚に集中する瞑想と、呼吸に集中する瞑想をリンクさせた時におこる強烈な快感」が心身に与える影響の中には、どうやら若返り効果もあるようなのです。

今のところ確実に言えるのは目元のシワと口元のほうれい線が明らかに薄くなりました(笑)今後も何かの変化がありましたら、このブログ上で発表していきます(!)

そんなにステキな瞑想なのに、インターネット等を見ていると、かなりモッタイないケースも多いようです。せっかく瞑想は実行しているようなのに明らかにやり方を誤解されてる方もいらっしゃるご様子。

確かに、昔から瞑想のやり方には誤解が多かったのですが、今はこんなにもインターネットが普及して、少し検索すれば正しい瞑想法はスグにでも出てくるのに、それでもやっぱり誤解はなくならないんですね。

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それは瞑想ではありません。

例えば

好きな音楽聞きながら瞑想してます、とか。これは瞑想ではありません。

ストレス解消法としてはイイのかもしれませんが、瞑想から得られるはずの本来の効果は得られないでしょう。

あるいは「無をみつめる瞑想」とか。

日本の禅宗の瞑想の中にはそんな感じのがあるようですが、仏陀が弟子たちに、そのやり方を説いたという一番スタンダードな瞑想からは、かなり離れてます。

私見ですがこの「無をみつめる」系の考え方は、瞑想のスタンダードな方法である「呼吸、もしくは体の感覚に集中して雑念を払う」というやり方の、雑念を払う、という部分だけが「無をみつめる」みたいな言葉で伝わってしまったのでは?と思っています。

雑念を払うために、呼吸とか体の感覚に集中する訳ですから、その肝心な点を抜かしてイキナリ「雑念をはらう=無をみつめる」だけでは、ほぼ実行は不可能に近いと思います。

あと、イイとこまでは行ってるけど惜しい!というのに、ゆっくりと呼吸をしてその呼吸を1.2.3.4とずーっといつまでも数え続ける、というのもありました。

たぶん、これは、自分の呼吸を観察しようとしても、どうしても気が散ってしまう場合などに呼吸に集中するためのテクニックとして「自分が自然にしている呼吸を10まで数えたら、また1に戻って10まで数え、それを繰り返す」という方法があるのですが、それが誤解されて伝わったのではないか、と思われます。

それになんといっても一番多い誤解が「自然な呼吸」ではなく、腹式呼吸だったり、ゆっくりとした呼吸だったり、4・7・8という間隔でする呼吸(4カウントの間息を吸い、次の7カウントの間息を止め、最後の8カウントで息を吐き切る)だったり等の、「呼吸を自分で整えてしまう」やり方です。

この4.7.8の間隔で呼吸をする方法は、「がんばれない」「努力できない」を本当に治すたった一つの方法」の中の24章「もっと健康になろう」の中でも、ご紹介したアンドルー・ワイルの呼吸法です。

アンドルー自身はこれを、「くつろぐ呼吸」と呼んでいるのですが、このくつろぐ呼吸に意識を集中する方法を、マインドフルネス瞑想として伝えているようなサイトもあるようです。

このような瞑想法でもそれなりの効果は出ているようですし、たんにリラクゼーション効果だけをもとめるのであれば、それで十分なのかもしれません。

けれども、せっかく努力するなら、やはりリターンも大きい方がやる気もでませんか?

たんにリラックスできるだけではなく、心身の健康状態をハッキリと向上させ、「努力できない病」を根本的になおしたいと思うなら、ブッダが弟子たちに教えたという一番スタンダードな瞑想法がやはり最も効果的です。

やり方を知ってるだけ

以上のような、実際に瞑想を実行はしてるけど、やり方が間違っているケースの正反対なのが次のパターンです。

本で読んだとか、ネットで検索したとかで、瞑想のやり方を知った方々が書かれたサイトなどを見ると、せっかく瞑想のやり方じたいは正確に理解されているようなのに、実際に瞑想を実行しているか?というと疑問が残るようなケース。

せっかく正しい瞑想法にたどりついているのに、実行しようとしないなんて本当にモッタイナイ。

これは瞑想にかぎらず何でもそうですが、単に知識として頭の中で知ってるだけで、それを実生活に落とし込んでいかなければ、どれほどすばらしい知識であっても意味はありません。

よって今回は、そんなモッタイナイ方々に向けて、あるいは「努力できない病」を根本的に治そうとしている方に向けて、もっとも効果的な瞑想のやり方と、継続するコツについて超具体的に書いていきたいと思います。

呼吸はものすごくユニーク!

ブッダが弟子たちに、そのやり方を説いたという瞑想から、宗教的な要素が絡むところを抜かすと、瞑想には大きく二つのやり方があります。

ひとつめは「呼吸に集中する」やり方で、ふたつめは「全身の感覚に集中する」やり方です。

そして私のおすすめは断然ひとつめの、「呼吸に集中する」です。

googleでやってる瞑想もこの方法に近いようです。

ただし、瞑想によって強烈な快感を感じたい場合、あるいは心身の状態に対する特殊な効果(アンチエイジング等)を、瞑想に求める場合は、呼吸に集中する瞑想が上達した後に、感覚に集中する瞑想も習得する必要があります。

なぜ「呼吸に集中する」やり方を強くお勧めするかというと、呼吸という活動は、人間の体の活動の中でも、とびぬけて特別でユニークな活動だからです。

「呼吸が特別?どこが?」と思われる方もいるかもしれません。

では、呼吸がどれくらい特別なものなのかを、ご説明しましょう。

人間の体の活動は、大きく次の二つに分けることができます。

①自律神経と言われる、自分で意識的にはそれを動かしたり止めたりすることが普通はできず、勝手に体じたいが動かしてくれる系統の活動。心臓を動かす、胃を動かす等々の活動

②体性神経(聞きなれませんが)と言われる、自分で意識的に動かしたり止めたりすることが普通はできて、逆に勝手には動かない系統の活動。足で走る、とか手を振る等の活動

ところが「呼吸」という特別な活動だけが、この二つの両方の活動にまたがっています。

呼吸は、眠っている時や、それをまったく意識していない時は、自律神経がそれを動かしてくれるので、意識的には自分で何もしなくても、自動的に体が動いてくれて、勝手に体が呼吸してくれます。

でも、呼吸に意識をもっていけば、今度はそれを体性神経を使って動かすことができるので、自分の意識一つで、早くもできるし遅くもできる、ある程度の範囲内であれば止めることさえ可能です。

自律神経で動く活動でもありながら、同時に体性神経を使ってかなり自由にそれをコントロールすることもできる活動。

こんな活動は、まさに呼吸だけなのです。

呼吸の観察は、心の観察です。

体が勝手に呼吸してくれている時、その自然な呼吸は私たちの精神状態をリアルに映し出します。

焦ったり興奮したりしている時は自然と呼吸は荒くなりますし、逆に落ち着いた精神状態のときは呼吸はとてもゆっくりと静かになります。

また自然な呼吸は、ふだん私たちが自分では気づいていない本当の自分の感情も、ハッキリと映し出します。

本当のところ、私たちは、いつも正確に自分の感情や精神状態を把握しているとは限りません。

現代人の中には、幼少時にシツケとして「自然な感情」を押さえつけられてしまい、自分の本当の感情がわからなくなってしまっている人がとても多いのです。

エーリッヒ・フロムの 邦題「人間における自由」(Erich Fromm,Man for Himself : An Enquiry into the Psychology of Ethics, New York: Rinehart and Company,1947 翻訳文責:押樋 )によれば

「子供がかなり小さな頃から、実際には子供の最初のシツケが行われるのと同時に、子供の自然な感情は、親によって押さえつけられます。

一番最初に押さえつけられ、気づかなくされてしまう感情は、親に対する敵意や反感です。

大部分の子供はシツケという名で、自分の自然な成長を妨げようとする親と戦いますが、子供は圧倒的に弱いため、たとえ親の言動に本当は納得できなくても、力であるいはコトバで無理に負かされてしまい、親に対して敵意と反感を持つようになります。

このような敵意と反感を、子供の中から取り除くのが親の教育の本質的な目標です。

その方法は様々で、子供をおびやかす威嚇や罰から、子供を混乱させて敵意を捨てさせるようなお世辞や、「説得」という微妙な方法まで色々とあります。

こうして子供はまず、親に対する敵意という感情を表現することをあきらめてしまい、ついには親に対する敵意という感情を持つことさえも、あきらめてしまいます。

それと同時に子供は、親やほかの大人たちの中にある敵意や不誠実に気づくことも禁止されます。

時にこれは簡単なことではありません。というのも子供は大人のようには言葉によっては簡単にだまされないため、大人の中にある敵意や不誠実さを見ぬく力をもっているからです。

子供は時々「もっともらしい理由もなしに」ある人間を嫌うことがあります。子供がその人間が放つ敵意や不誠実を感じるというまさに正当な理由は別にして。

けれども、このような子供の能力はすぐに親のシツケによって弱められます。すぐに子供は普通の大人に「成長」し、なにかハッキリとした悪事をしないかぎり、正しい人間と悪い人間を区別する能力を失います。

その一方で子供は教育の早い時期にまったくニセモノの感情をもつように教えられます。特に「不平不満をいわないこと」「ミンナと仲良しになること」また「微笑むこと」を教えられます。

教育がこのようなシツケを完成させられなかった場合、大人になってから社会的な圧力のもとで同じようなシツケが行われます。

もしもあなたが微笑んでいないとすれば、あなたは「感じの良い人」ではありません。

けれども、もしも貴方がどこかに就職したいと思うのであれば、あるいは起業するにしても「感じの良い人」であることは絶対に必要なのです。

ただヒエラルキーの底辺にいて自分の肉体労働しか売るものがない人間と、ヒエラルキーの頂点にいる人間だけが特に感じをよくする必要はありません。

微笑みが意味するはずの、親切心や明るさ等のすべての感情は、電気スイッチのようにつけたり消したりできる機械的な反応になっています。

確かに時に人は、自分はジェスチャーをしているにすぎないと気がついている場合もありますが、たいていの場合はその意識を失っていて、ニセモノの明るさと本当の明るい気持ちを区別する能力を失っています。」

このような自分では気づかなくなってしまっている自分の本当の感情を、自然な呼吸はハッキリと映し出してくれます。

例えば、ほとんど息を吐きださず短く強く連続して息を吸い続けてみて下さい。この呼吸の仕方が泣いている時の呼吸の仕方だということが、解かると思います。

自分で自分の呼吸をコントロールしようとせずに、自分の呼吸が今どんな風に行われているのかを客観的に観察することができるようになると、その呼吸の仕方から、今までは自分では気づかなかった自分の中に隠されている感情に気づくようになります。

自分の中に、泣き出しそうなほどの深い悲しみや、息も震えるほどの強烈な怒りがあることに気づくでしょう。

いったい自分は何をそんなに悲しんでいるのか?あるいは何にそれほど激怒しているのか?その原因までは解からなくても大丈夫。

自分の中にあった強烈な怒りや、深い悲しみに気づくだけで、その怒りも悲しみも、かなり和らいでいきますし、どうやら自分の中には自分では気づいていない大きな怒りや悲しみがあるらしい、と気づくだけでも、精神衛生状態は大幅に向上します。

あともう一つ、これは実際にやってみるとスグわかることですが、自分の呼吸を意識しながら、それをコントロールしないようにするのは、実はかなり難しいのです。

呼吸のほうに意識を向けたとたん、自分では呼吸をコントロールするつもりがなくてもツイ、呼吸をコントロールしようとしてしまいがちです。

「すぐに呼吸をコントロールしようとしてしまう自分を何とかおさえ、自分の呼吸に意識を向けながらも、それをなるべくコントロールしないようにし、自分の体に自然な呼吸をさせるようにする」ということじたいが、反射的な「自分コントロール癖」を矯正する、という一種の精神的なトレーニングになっていきます。

具体的な瞑想のやり方

前置きはこのくらいにして、実際のやり方を説明しましょう。

基本はすごくシンプルです。

「一人ですわって自分の自然な呼吸に意識を集中し、それをくまなく観察する」

ただ、これだけです。

でも、これだけじゃ、なかなか実行がむずかしい場合も多いと思いますので、こまかいコツもご説明しましょう。

まず服装ですが、なるべくゆったりとした服がベストです。

というのも締めつけるような服を着ていると、それで呼吸のしかたが変わってしまうからです。

特に胸とお腹は完全にしめつけるものがナイようにしてください。

場所は一人になれる場所ならどこでも。

できれば明るくて空気が新鮮で静かなところが良いのですが、多少の雑音は問題ありません。

ブッダが悟りを開いたという「川辺の木陰」なんてまさに絶好の瞑想ポイントです。川のせせらぎは最高のホワイトノイズとも言えるでしょう。

座り方は、だらしなくすわるのでもなく、かといって体をこわばらせるのでもなく、リラックスして、かつ背骨がまっすぐになるように座ります。

椅子でも座布団の上でもけっこうです。

足やお尻など体の一部が痛くなったり、しびれたりしにくいように、なるべく楽な姿勢をとりましょう。

お尻や足の下には柔らかいクッションなどを用意して下さい。ただし背もたれなどに、寄りかかってはいけません。

時間は最低でも一回に20分、できれば40分。理想は朝晩2回ですが、朝だけでも大丈夫です。

もちろん時間が長ければ長いほど効果は増します。途中で居眠りしたりしていなければ一日中瞑想しても何の問題もありません。

次に呼吸の観察の仕方ですが、まずは目を閉じて自分の自然な呼吸に意識を集中します。

呼吸について考えるのでもなく、呼吸を整えたりもしません。

ゆっくり呼吸しようとしたり、腹式呼吸にしようとしたり、口呼吸をやめようとしたり、そういうことは一切しません。

ただただ自然に呼吸をして、その自然にしている自分の呼吸に自分の意識を集中し、呼吸をすみからすみまでくまなく観察します。

吸っては吐くをくりかえす呼吸のサイクルについていく、というような感覚です。

あるいは、ただ黙って自分自身の自然な呼吸を見守る、ような感覚です。

大切なのは、「自分はどんな風に呼吸をしているのか?」という点について、それを頭で考えるのではなく、実際にそれを「感じる」ことです。

自分がどんな風に呼吸をしているのか?その感覚に意識を集中し、その感覚をしっかりと感じ取るようにします。

呼吸を観察するテクニック

ただ、上記のようなやり方だと、最初はあまりも多くの雑念にわずらわされ過ぎて、呼吸に集中するのが難しすぎる、という場合も多いと思いますので、そんな時には、次のテクニックを使ってみましょう。

「吸う」から「吐く」に変わる瞬間、逆に「吐く」から「吸う」に変わる瞬間、その呼吸の転換点に注意を向けて、呼吸のサイクルについていきます。

この時、呼吸を「吸って吐く」サイクルではなく「吐いて吸う」サイクルとしてとらえ、吐く息からはじまるサイクルとして、その転換点に注目します。

①まず最初の一回目は意識的に、できるだけゆっくりと、長く細く息を吐き出してください。体中にあるすべての空気を吐き切るようなつもりで、できるだけゆっくりと息を吐き出します。

②息を吐ける限界まですべての息を吐き出したら、あとは自然な呼吸にまかせます。すると息を吐き切った体は自然に空気を吸いはじめます。

③自然に空気を吸いはじめた自分の体が、次に自然に空気を吐き出すタイミングがやってくるのを待ちます。つまり「吸う」から「吐く」に変わる転換点が来るのを待つということです。

④その瞬間が来たら、転換するタイミングで「はく」の「ハ」という言葉で「はく息」の感覚を捕まえます。「吸うから吐く」に転換する瞬間に、頭の中で短く「ハ」と言いながら「吐く息」を意識するような感じです。

④次に自然な呼吸が「吐く」から「吸う」に変わる転換点が来るのを待ち、転換する瞬間が来たら、今度は「すう」の「ス」という言葉で「吸う息」の感覚を捕まえます。「吐くから吸う」に転換する瞬間に頭の中で短く「ス」と言いながら「吸う息」を意識するような感じです。

できれば転換点の時にだけ、「吸うから吐く」に変わるときはハ、「吐くから吸う」に変わるときはス、と短い言葉でその時だけをとらえ、あとは自然な呼吸の感覚を感じとる方が良いのですが、あまりにも雑念が多すぎて呼吸にぜんぜん集中できない場合などは、吐いている間中ずーっと「ハー」という言葉で吐く感覚を意識し、吸っている間じゅう「スー」という言葉で吸う感覚を意識してもかまいません。

どうしても雑念が多すぎて呼吸に集中できない場合、このテクニックを使って自分の自然な呼吸の感覚に意識を集中し、くまなく呼吸の観察を続けましょう。

ここで、しっかりとご理解いただきたいのが、このテクニックはあくまでも「自然な呼吸に意識を集中し、それをくまなく観察する」のが、あまりにも難しすぎて、どうしてもできなかった場合の集中するためのテクニックですので、少し上記のやり方を続けて、自然な呼吸に集中しそれを観察することができるようになってきたら、なるべく早く上記のテクニックを使うのをやめて、ただただ「自然な呼吸に意識を集中し、それをくまなく観察」しましょう。

言葉で呼吸をとらえるのは、本当はできるだけ避けるべきである「呼吸について考える」というコトに近い方法ですし、呼吸の転換点など呼吸の一部だけに集中するのは「呼吸をくまなく観察する」方法ではありません。

ただし、ここで一つ注意すべき点を申し上げます。

何かの技術を修得しようと思ったら、これは瞑想だけには限りませんが、「上達への道は決して平たんではナイ」ということです。

歌の文句ではありませんが、まさに1日1歩3日で3歩、3歩進んで2歩下がる、という感じです。

少し上達したと思ったら、特別な理由もナイのに急にまた、あまり呼吸に集中できなくなったりするコトもよく起こります。

そんなときはまた上記のテクニックに戻りましょう。

そんな風に行ったり来たりしながら少しづつ少しづつ上達していきます。

そして、これもあらゆる技術の習得過程に言えることですが、この少しづつ上達していく過程は、その上達するレベルが、あまりにも小さすぎて、自分の実感としては全く上達していない!と感じてしまう場合も多いのです。

でも、実はそんな時でも自分では気づかないほどの小さなレベルで少しづつですが上達しています。

そのホンの少しづつの上達が、ある一定の量以上に重なると、自分でもハッキリとその上達感が実感できるほど、一段、実力が上がる分岐点が必ずやってきます。

ですから「こんなに毎日頑張ってるのに全然上達しない!」などとイラつかず、上達するかしないか、そんなコトは気にせずに、トニカク毎日自分が決めた時間、淡々と瞑想を続けていきましょう。

じっさいは、こんな風です。

こうして自分の自然な呼吸を、実際に観察できるようになってくると解かることですが、実は自然な呼吸は必ずしも単純な「吸って吐く」の繰り返しではありません。

吸ってそのまま止まってしまい少ししてから吐いたり、吸って吸って吐いたり。逆に吐いて吐いて吸ったり。

吸っているのか吐いているのかよく分からない時もあったり。あるいは吸っているのに同時に吐いているような感覚があったり、その逆もあったり。

またそのサイクルもけっして一定ではありません、急に早くなったり遅くなったり止まったり。

また呼吸をしているという感覚は決して肺だけで感じるとる感覚ではありません。

鼻や口やお腹のあたりで呼吸をしている感覚を感じるのはモチロンのこと、ちょっと試してみればわかりますが、実はお尻でも頭のてっぺんでも指先でも呼吸をしている感覚を感じることができます。

例えば、頭のてっぺんの感覚に意識を集中したまま呼吸をしてみてください。

吸ってるとき、止まってるとき、吐いてるとき、その呼吸をしている感覚を頭のてっぺんでも感じ取れるのが解かると思います。

そして当然ながら、「呼吸に集中する」ことじたいがまったく簡単ではありません。

呼吸に集中するどころか、ふと気づくとマッタク関係のない別のことを考えていたり、頭の中に音楽が流れたり。

コレで全然問題ありません。誰でもみんな最初はそうなのです。

呼吸以外の他のことに意識がいってしまっているコトに気づいたらそれをやめて「呼吸に集中する」にもどるだけです。

呼吸に集中できない自分を責めたり、イライラしたり、呼吸に集中できないことにガッカリする必要はまったくありません。

そういった感情はすべて、無意識の中の「瞑想を続けたくない」という思いを正当化しようとする感情であり、瞑想を継続する上で邪魔になるだけです。

何度、呼吸から気がそれようと、何十回、何百回、気が散ろうと、焦らずイラつかずガッカリせず、ただただ淡々と「呼吸から気がそれているのに気づいたら呼吸に戻る」というコトを繰り返していくだけです。

実は、瞑想中に自分の意識が呼吸から離れてしまい他のことを考えてしまっているということにスグに気づけるようになるのは、瞑想がある程度上達した状態なのです。

まだ瞑想をはじめたばかりの頃というのは、自分の意識が呼吸からそれて別のことを考えてしまっているということ自体に、なかなか気づけません。

かなり長い時間、呼吸以外のこと延々と考えていて、そうとう時間がたってから「あ・そうだった!呼吸に集中するんだった!」と思い出すような感じから、最初は始まります。

誰もが皆、最初の頃は、ほとんど呼吸に集中なんてできません。

5秒と持たないなんてアタリマエです。

気がつくと呼吸を観察するのを忘れて、明日のスケジュールを考えていたり、夕飯のメニューを考えていたり。

この、あまりにも落ち着きのない精神状態を瞑想界では「モンキーマインド」と呼んでます。

そんな名前がつくらい「呼吸に集中できない」のが一般的なのです。

それでもあせらず、イラつかず、投げ出さず、落ち込まず、ただただ淡々と、根気強く、コツコツと続けていきます。

この最初の段階で「あまりにも難しすぎる」と挫折してしまう方も多いのですが、ここが踏ん張りどころです。

根気についてエーリッヒ・フロムはこんな風に書いています。

「根気とはどういうものかを知りたければ、一生懸命に歩こうとしている子供を見れば良い。失敗しても失敗しても失敗しても、けっしてやめようとせず、だんだん上手になってついには成功し、歩けるようになる。」

エーリッヒ・フロム 邦題「愛するということ」(Erich Fromm,THE ART OF LOVING,1956 )

誰もが子供の頃は、こんなにすばらしい根気をもっていたのです。

大人が自分にとって大切なことに取り組むとき、この子供の頃の根気をもって取り組むなら、どんなことでもやれるのではないでしょうか?

こうして少しづつ、呼吸に集中することができるようになり、自然な呼吸の感覚をくまなく感じられるようになってくると、自然な呼吸という感覚の、複雑さ面白さに驚くことでしょう。

体のどこかで吸ったり吐いたりしている感覚に近い波のような感覚があるのと同時に、また別の体のどこか別の場所でそれと同時に、でもそれとは別のサイクルで、吸ったり吐いたりしているような感覚がおこっていたり。

どこだかわからないけれども、呼吸のリズムに合わせて体のどこかが開いたり閉まったりしているような感覚があったり。

呼吸のサイクルそのもののようなグルグル回るような感覚を感じたり、あるいはそのグルグル回る感覚が右斜めになったり、左斜めになったり、まっすぐになったり、波のように歪んで回ったり。

グルグル回りから形を変えて、体のアチコチを呼吸が動き回るような感覚があったり。

実際に自然に呼吸している感覚に集中することができるようになり、それをくまなく観察できるようになると、自然な呼吸というものの複雑さ、バラエティーに富んだ、豊かな、不思議な、面白い感覚が解かるようになってきます。

この感覚が解かるようになれば、ますます飽きることなく呼吸に集中できるようになっていきます。

このあたりまで瞑想が上達するようになれば、強烈な快感の少し手前にある柔らかい快感とでもいいましょうか、フワンとするような感覚、非常に適温でのぼせない温泉にでも入っているような気持ち良い感覚や、強烈な集中にともなう一瞬ですがしびれるような快感や、その快感に伴ってアドレナリンが出てくるような、気持ちの明るくなるような、ハッキリと目が覚めるような感覚なども感じられるようになるでしょう。

こうして一度瞑想することじたいの気持ちよさが解かってくれば、ますます瞑想のトレーニングは、継続しやすくなります。

とにかく3週間は続けてみる

けれども、瞑想のトレーニングをはじめたばかりの頃は、集中するのも困難でハッキリとした効果も感じられず、まったく快感もないために「こんなことしても何の意味もない、ばかばかしい、時間を取られすぎる」などの言い訳をして、この練習を続けたくないという自分の気持ちを正当化してしまいがちです。

そこをナントカ乗り越えて、とりあえず3週間は毎日必ず続けます。

気分が乗ったときはやるけど、気が向かなければやらない、こんなやり方だと中々ハッキリとした効果も快感も手に入れることはできません。

とにかく最初の3週間は毎日、問答無用で何が何でも続けます。

すると本当に亀の歩みのように少しづつですが、だんだん呼吸に集中できるようになり、瞑想の効果や、快感もハッキリとわかるようになってきます。

集中力がアップする、気分が明るくなる、精神的に落ち着いてくる、記憶力がよくなる、寝つきや目覚めが良くなる等の瞑想の効果、もしくは、体中がほぐれてフワッとするような瞑想することじたいの気持ち良さや、強烈な集中にともなう一瞬のしびれるようなアドレナリンが噴き出すような快感が、ハッキリと実感できるようになれたらしめたものです。

瞑想を続ける意欲も、ガゼンわいてきます。

瞑想から得られる効果にせよ、瞑想から得られる快感にせよ、瞑想からハッキリとした利益が得られるということを実感としてわかるようになれば、瞑想の継続は非常にラクになります。

ただし最初の3週間(人によっては8週間)は多少の抵抗があり、気持ちよさや効果を感じられず、継続が難しくなってしまう場合もありますので、とにかくココを踏ん張って乗り越えていきましょう。

本来、人間の成長と幸福にとって利益となるコトは何でも、瞑想でも、有酸素運動でも、早寝早起きでも、規則正しい生活でも、必ず快感がともないます。

けれども、今までしたことがないコトを最初にやりはじめようとした場合、それが習慣となるまでの最初のあいだは、その快感を感じることができず、それがタダタダ辛いだけ、苦しいだけのコトとして感じられてしまう場合もあるのです。

でも正にココこそが踏ん張りどころなのです。

その最初の移行期さえ乗り越えられれば、必ず快感はやってきます。

それでも、どうしても継続が難しい、という方は、「がんばれない、努力できない、を本当に治すたった一つの方法」を読んでみてください。

あらゆる種類の「それが自分にとって大切だというコトを頭ではハッキリと理解しているのに、それでもどうしてもコツコツと継続した努力を続けるコトができない」という傾向を本当に治すためのたった一つの方法について書いています。

また瞑想中におこる最大の難関である眠気については「瞑想中の「眠たくなる」を超効果的に撃退する3つの方法」をお読みください。

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コメント

  1. 東浦康雄 より:

    瞑想のやり方が具体的に書かれています。やっと瞑想のやり方が分かりました。ありがとうございます。ここまで解説していただける方に出会ったことがありません。瞑想がやっと出来そうです。
    相談は駄目ですよね?

    • 楽楽禁煙 より:

      相談、大丈夫ですよ。ただ今からちょっとパソコンのメンテナンスに入るので場合によってはお返事が遅くなってしまうかもしれませんが、ご了承下さいね。

  2. 東浦康雄 より:

    ご連絡ありがとうございます。
    呼吸をしているときに、意識をストンと落とすようにすると、又は意識を膨張させるようにすると、(半分意識が眠る前のような)もわ~っとした意識状態になりますが、これは駄目なのでしょうか?
    あくまで呼吸に集中させるべきなのでしょうか?
    以前に呼吸に集中している最中に眠ってしまったようで、気が付いたときに非常にクリアな意識空間に入っていました。頭がとてもスッキリした空間で、呼吸をしなくても苦しくありませんでしたし、呼吸の長さも自在に操ることが出来ました。
    意識をもわ~っとした状態にすると、コントロールにより別の感覚に入ったりします。
    どちらのやり方が良いのでしょうか?

    • 楽楽禁煙 より:

      こんにちは。ご連絡ありがとうございます。

      早速ですがご質問にお答えしてみたいと思います。

      まず「呼吸をしているときに、意識をストンと落とすようにすると、又は意識を膨張させるようにすると、(半分意識が眠る前のような)もわ~っとした意識状態」という意識状態というのが、もしも眠っている状態に近いような意識状態のことを指しているのだとすれば(瞑想に眠気はつきものですから。)やはり瞑想に適した意識状態ではないと思います。

      ただ、その後に書かれていらっしゃるように「以前に呼吸に集中している最中に眠ってしまったようで、気が付いたときに非常にクリアな意識空間に入っていました。頭がとてもスッキリした空間で、呼吸をしなくても苦しくありませんでしたし、呼吸の長さも自在に操ることが出来ました。」ということがあるようでしたら、もしかすると睡眠不足な状態で瞑想されていらっしゃるのかもしれません。

      こちらの記事はお読み頂けましたでしょうか?→https://wp.me/p979ts-l6 もしもまだお読み頂いていないようであれば是非読んでみて下さい。瞑想に適した時間帯や瞑想中の眠気にたいする対処方法を書いています。

      あと、瞑想の目的をどこにおいていらっしゃるか?という点でも少し変わってくると思います。

      もしも瞑想のメインの目的を、リラックス感を得るためとか、勉強や仕事の疲れを取って頭をスッキリさせるため、という所に置いていらっしゃるのならば、眠っているような意識状態で瞑想しても、そのような効果は得られると思います。ただ、それが目的でしたら、瞑想するよりも、むしろ思い切って眠ってしまう方が、よりリラックス感や疲れを取って頭をスッキリさせる、という目的には適していると思います。

      もしも瞑想のメインの目的を精神衛生状態の向上という点においていらっしゃるのであれば、できるだけ自分を「コントロール」するのをやめて、自分自身の体に、「自由に好きなように呼吸をさせてあげて」その「自分の自然な呼吸」を、自分自身で観察するようなつもりで、呼吸に集中するという方法が適していると思います。

      以上、お答えになっていれば幸いです。

  3. 東浦康雄 より:

    ご指摘ありがとうございます。
    呼吸に集中して、続けてみます。
    ありがとうございました。

    • 楽楽禁煙 より:

      こちらこそ、コメントありがとうございました。愛想のないお返事になってしまったことお許しくださいね。