今回は「料理をする」ということのモーレツな重要性について書いてみたいと思います。
自分で料理を作れば、より美味しく、より安全で、より健康的で、より経済的な食事ができます。
けれども、料理を作ることの利点は、それだけではありません。
自分の食べる料理を自分で作ることは、精神的な健康度をあげてくれ「努力できない病」を治すための補助的な効果すらもあるのです。
でもなぜ、料理を作ることが、心の健康度までをあげてくれるのでしょうか?
イヤイヤながらのルーチンワークではなく、どのような料理を作るのかというアイデアから自分の頭で考え出し、その考え出した料理を自分自身の手を使って創り出すような場合、
それは都会に住む人間にとっては一番身近で現実的な、頭と体を使う「創作活動」になるからです。
人間であれば誰の中にも、潜在的には「何かを創り出す力」=「創作能力」があります。
この「創作能力」の実現である「創作活動」こそが、精神的な健康度をあげてくれて「努力できない病」を改善してくれる効果の高い活動なのです。
「努力できない病」とは、人間の生命力が弱ってしまった時に現れる一つの徴候です。
よって、努力できない病を治すためには、その弱ってしまった生命力を復活させる必要があります。
生命力を復活させる方法は色々とありますが、努力できない病を治すための近道としては、以下のような方法が最適です。
①まずは、知らず知らずのうちに取り入れてしまいがちな「心の毒になる知識」が入ってくることを「情報断食」で防ぎ
②どのような知識が心の毒になるのかを具体的に詳しく知ることにより、今まで知らないうちに自分の中に取り入れてしまった「毒の知識」の正当化や美化をやめ、
③さらには「心の栄養となる知識」である「人間的な知識」を取り入れ
④「有酸素運動」「瞑想」「早寝早起き」「規則正しい生活」によって体の健康度を、そしてひいては心の健康度を上げていく。
「じゃあ、どんな知識が心の毒になるの?」等の「努力できない病を治す方法」について詳しく知りたい方は「がんばれない、変われない、努力できない、を治すたった一つの方法」の中で説明していますので、ぜひ読んでみて下さい。
こうして重度の努力できない病が改善されてくると、もともと誰もがもっているはずの生産力、創造力、生み出す力、が少しずつ復活してきます。
そしてこの復活してきた力は、ぜひ今すぐにでも「使う」必要があるのです。
歩く力や、話す力など、すべての人間がもっている力は、その力を使えば使うほど、ますますその力は増していき
逆にその力を使わなければ、段々とその力は弱まり衰え、ついにはマヒしてしまいます。
それは創る力や生み出す力、つまり創造力や生産力も同じです。
創造力も生産力も、人間の肉体と精神の両方にありますが、この両方の力を使う事のできる創造的活動こそが、弱まってしまった生命力を復活させる上で、特に役に立ちます。
よって、体と頭の両方を使って何かを創りだすような活動が生命力を復活させるためには最適なのです。
何かを創りだす、と聞くとどうしても芸術的な活動を思い浮かべがちですが、なにも創りだすのは芸術的作品だけではありません。
というよりも、「何かを創り出す」といっても、その「何か」とはモノには限りません。
ダンスができるようになることも、ピアノがひけるようになることも、歌えるようになることも、人を愛せるようになることも
体と頭の両方を使って、人が潜在的にもっている力を実現してゆく、「創りだす活動」の一つです。
けれども、努力できない病になりがちな人は、どちらかというと頭デッカチなタイプが多く、抽象的な活動に偏りがちなので、今回は抽象的な活動になりにくい、モノづくりとしての創作活動を中心に考えてみたいと思います。
花でも野菜でも家具でも服でも小物でも料理でも、創り出すことのできるモノは日常生活にあふれています。
特に草木や花、野菜や果物などを作り出す、園芸や家庭菜園は生命力を復活させるための創作活動としては最高です。
どんな花や草木を植えるのか?どんな野菜や果物を作るのか?
畑や庭の全体をどんなデザインにするか?花や草木の形のバランスや色のバランスをどうするのか?
無農薬で作るのか?有機肥料を使うのか?種や苗はどこから手に入れるのか?
それらの計画を本などを参考にしながら、すべて自分自身の頭で考えだします。
そうやって最初は自分の頭の中にしか存在しなかったアイデアを、実際に自分の手足をつかって働くことによって現実の世界のなかに創り出していくのです。
自分自身の手足で、庭や畑の土を耕し、苗を植え種をまき、水をやり雑草を抜き肥料を与えます。
色とりどりの草木、珍しい野菜や果物、可愛らしい花、こうしたすべてを自分の力で、現実の世界の中に創り出していく。
そのうえ野外で新鮮な空気を吸い、太陽を浴び、風を感じ、土や草や花の香りをかぎ、虫や鳥などの生命力あふれるモノと触れ合いながらの創作活動です。
これ以上に、心身の健康に効果の高い理想的な創作活動はないでしょう。
ヘッセが庭仕事を勧めているのも当然です。
しかしながら、都会生活においては、ナカナカそのような創作活動を、実行するのは難しいのが現実です。
庭なんてもちろんベランダさえないようなケースもまれではないでしょう。
では都会生活において、どのようなモノ作りが現実的でしょうか?
手芸や陶芸、木工細工などであれば、都会生活でも「創り出すこと」は可能です。
けれどもこのような「モノ作り」の場合は、創り出したそのモノを、その後どうするのか?が問題になってきます。
特にミニマムライフを志すような方にとっては、ただでさえモノがあふれているのに、これ以上モノを増やしたくない、という思いもあるかも知れません。
そんな場合にも、うってつけなのが料理です。
料理であれば作ったモノをすぐにその場で消費することができますので、モノを増やすことにもなりません。いずれにせよ誰もが何かを食べなければならないのですから。
どんな料理をどんな計画で作るのか?
どんな材料を選び、どんな調味料を使うのか?
材料をどこから調達するか?
調理法はどうするか?
和食か、中華か、イタリアンか、フレンチか、あるいはエスニック風の料理にするのか?
幸い今はインターネットが発達していますので、どんな国の料理でも、ちょっと探せばスグにレシピは手に入ります。
好みと予算と、栄養のバランスなど健康に対する配慮をふまえて、料理本やネットなどのレシピを見ながら献立を考えます。
そして実際に自分の足で買い物に行って食材や調味料を選び、最初はレシピを見ながらでも料理の方法を学びましょう。
自分の手で食材を洗い、剥き、切り、刻み、お鍋を持ち上げ、フライパンをふるい、焼いたり、煮たり、蒸したり、揚げたり。
できあがった料理をどう盛りつけるか?
どんな器に入れどんな盛り方をすると美味しそうに見えるのかを考え、さらに料理に合うテーブルセッティングも、バランスや色どりを考えて工夫をする。
まさに頭と体をフルに動かす活動です。
こうして、だんだんと経験が深まればちょっとした創作料理ならスグにできるようになります。
料理こそ都会生活で一番現実的な頭と体の両方を使う創作活動でしょう。
また料理を自分で作れば食の安全も守れます。
できあいの惣菜ではなく素材を買ってきて自分で調理すれば添加物の心配もいりません。
油も砂糖も塩も自分でコントロールできますので健康上も有利です。
また市販の食品は、甘すぎたり油が多すぎたりして味が自分好みではない場合もありますが、自分で味つけをすれば、味もより自分好みに調えられます。
そのうえ経済的にも断然、有利です。
これほど利点に満ちた創作活動は他にはないでしょう。
けれども、作った料理が不味かったらやる気もそがれてしまいますよね。
あまり料理を作りたがらない人は、自分でうまく料理を作れないか、作ることを面倒くさがっているかのどちらかの場合が多いようです。
もしも料理がうまく作れない理由が、明らかに経験不足からくるのであれば、最近はとても親切で、かつセンスの良い初心者向けの料理の本がたくさん出ていますのでまずは「良い料理本」を何冊か買いましょう。
実際に書店で立ち読みしてみて、これなら作れそう、作りたい、と思う本を選んでください。
クックパッドなどのレシピは、経験者が料理を作るうえでのヒントとして見るにはスバラシイ情報源ですが、クックパッドのレシピ通りに作っても、お子様向けの味になってしまう場合も多く、あまり初心者向けとはいえません。
最初に挫折すると、もう一度やろうと思うまで時間がかかってしまう場合もありますので、ぜひ最初は初心者向けの本を読んで始めて下さい。
逆に、もしもあなたが毎日の義務としてルーチンワーク的に決まりきった料理ばかりを作っていて、それがあまり美味しくもなく「自分は料理が下手だ」と思っているような方であれば、あなたに必要なのも、やはり「良い料理本」です。
あまり料理が好きではなく、ほぼ義務として美味しくもないようなルーチン的な料理ばかりを作るような方というのは、たいてい「良い料理本」を持っていません。
持っている料理本と言えば、何の面白みもセンスもなく基礎的な料理などを教えるような本を、せいぜい2、3冊だけ。
これでは料理が上手くなれるはずもありません。
なぜか料理が下手な人にかぎって、あえて料理本を読もうとしない傾向があります。
料理が下手だという自覚があるのに、なぜか既存のレシピに従って作ろうとうとしないで「自分なりのやり方」にこだわり、結果あまり美味しいものが作れず、ますます料理がイヤになるというパターンが多いのです。
誰でも最初からうまく作れる人はいません。
最初はレシピを見て作っていくうちに段々とカンがきくようになり、自分なりのやり方で美味しいモノが作れるようになるのです。
自分は料理が下手だという自覚がある方は、ぜひ大型書店の料理本コーナーをのぞいてみて下さい。
最近は本当にステキな料理本が増え、これなら作ってみたい!と思わせてくれるような、そして実際に誰もが簡単に美味しいものが作れるようなステキなレシピがのった本にきっと出会えるはずです。
あるいは図書館で本を借りてくるのも良いでしょう。
いずれにせよ義務として料理を作らなければならないのなら、その時間を単に自分を消耗させてしまうだけの時間として使うのではなく、ぜひ自分の心と体の生命力を復活させるための創作活動の時間として使ってください。
でなければあまりにも時間もパワーもモッタイナイ!
義務の時間を創作活動の時間に変えるためには、その活動を「やりたい」と思うモチベーションが必要です。
ステキな料理本はそのモチベーションを作ってくれます。
万一、本だけでモチベーションがあがらないようであれば、ぜひ美味しいレストランにあちこち出かけて「食の楽しみ」に対する情熱をあげましょう。
ただし料理本にも当たり外れがあり、ササっと立ち読みしただけでは選択に失敗してしまうケースも考えられますので、私のお勧めの料理本も何冊かご紹介しておきます。
まずは小林カツ代さんの「きゃべつ大好き」「なす大好き」「大根・かぶ大好き」「小林カツ代のすぐ食べたい!」
山本麗子さんの「101の幸福なレシピ」「ほっとするね山本麗子のナチュレシピ」
川津幸子さんの「わ・かんたん」「あ・おいしい」等がおすすめです。
川津さんと小林さんの本は、比較的初心者の方にもイイのではないかと思います。
次に考えられるのが、やればそれなりに美味しい料理が作れるのに「面倒くさい」という理由から料理をやりたがらないケースです。
このような人の場合、「努力できない病」が治れば、自然と料理をはじめるようになるでしょう。
「努力できない病」にかかってしまうと、料理に限らず何かを作り出すような活動すべて、創作活動一般を「面倒くさい」という理由から避けるようになってしまいがちです。
そして外側から与えられるモノを受け身的に「消費するだけ」の生活になってしまい、ますます生命力が落ちていってしまいます。
「面倒くさい」という考え方こそ「努力できない病」を蔓延させるヤッカイな思想です。
現代日本社会では「面倒くさい」=「悪」という価値観がすでに確立されてしまっているようです。
「あの人は面倒くさい人だ」と言う時、そこには非常に大きな否定的な意味合いが含まれます。
「面倒くさい」こそ現代社会における強大なワナだというコトにぜひ気づいてください。
お酒とタバコとサドマゾヒスティックなセックスも似たような種類のワナです。
「面倒くさい」ことを避けることによって人間的な能力がどれほどダメにされているか?その被害の大きさはタダゴトではありません。
ぜひ「面倒くさい」と思うことほど、逆に積極的にやるようにしてみましょう。
コトダマという言葉があるように「面倒くさい」という言葉を多用する人は、この「面倒くさい」という名前のワナにはめられている場合が多いのです。
ぜひ自分が「面倒くさいというワナ」にはめられていないかチェックしてみましょう。
「面倒くさい」という言葉を言いそうになったら、ぜひその言葉で避けようとした行動をむしろ積極的にするようにしてみて下さい。
面倒くさいという言葉で避けようとする行動の、ホボ9割近くは、明らかにその行動をした方が、自分の心と体を健康にしてくれる行動ばかりのはずです。
面倒くさいという言葉で何かの行動を避けようとしたとき、その行動をするのとしないのとではどちらの方がより自分の心と体が健康になるかな?とゼヒ考えてみて下さい。
自分の心と体を健康にしてくれるような日常生活における作業を「面倒くさい」という理由で避け、その結果、弱まってしまった自分の心と体の健康のために、サプリを飲んだりカウンセリングを受けたりジムに行ったりして、ワザワザ時間とお金とパワーを余計にかけるなんてあまりにもモッタイナイなさすぎますし、まさに本末転倒です。
「ハイハイ。モチロンそのとおり。そういうことは全部、アタマでは解ってます。わかっちゃいるけど、でも・どうしてもやる気がおきないの!」という方は、かなり重症の「努力できない病」にかかっている可能性が高いと言えます。
そのような方はぜひ「がんばれない、変われない、努力できない、を治すたった一つの方法」を読んでみて下さい。
「わかっちゃいるけど・できない。」あるいは「わかっちゃいるけど・やめられない」系の問題を、本当に根本から解決するためのたった一つの方法を、超具体的にご紹介しています。